そうこうしているうちに今の会社も限界が来ていた。

もともと今年の3月に辞めるつもりで計画していたのが、母親の逝去で3ヶ月先に変更。

勿論それは自分の中での話で、会社側からすればそんなのは御構い無しだ。

まず俺の年齢があるだろう。

そしてあまりにも理不尽なことに対しては即抗議する。

と言うか「ツッコミどころ満載」と言う表現じゃ足りないほどの

手の施しようのない病巣会社なので、相当我慢してるんだわこれでも。

そんな俺だから、会社としては厄介払いモードなんだよ。

それは十分承知してる。

予定通り3月に辞める事が出来れば、会社と俺との利害はある程度一致したのに。

もし6月まで続けるとなると、あと4ヶ月は地獄の日々だ。

いっそ解雇してくれた方がスッキリするんだが。

4ヶ月分の生活費はなんとかなる。

あとは雇用保険3ヶ月で俺の生活費2ヶ月賄えるとして、

無職でもちょうど半年は生きてられる計算。

それでも全然頼りないけどな。

1-3月の間に転職先決めて、4月から新天地で再スタートという予定を3ヶ月先延ばしだから、母親の死とは別にこれはこれでひたすらしんどい。

 

さておき...

 

母親は

 

「世の中捨てたもんじゃない」

 

と一生のうち何度思ったことがあるのだろう。

 

と時々考える。

 

人生はプラマイゼロというけれど、

 

母親は人並みに幸せも感じていたのだろうか。

 

俺は自分を今、相当不幸な時期だと思ってるけど、

 

例えば明日死んだとして、俺の人生の彩りはどんなだったかなぁと考える。

 

母親がいまわのきわに

 

「人生とは、人の世とは、斯様に苦しく、良いことなど微塵もない世界だった」

 

と結論付けて逝っていたとしたら?

 

...と考えるといたたまれなくなってまた泣きじゃくりの発作が始まる。

 

だって生者視点から言えばその可能性の方が圧倒的に高いもの。

 

だから俺は自分が死ぬときに「良い人生だった」なんて逆に思いたくない。

 

母親に申し訳ない。

 

何が言いたいか。

 

俺は今、あんな会社にしがみついてなきゃ生きていけないような、

こんな不幸のどん底の真っ只中で死ぬのも悪くないって思ってるんだよ。

 

逆に人生の終わりなんて所詮そんな風にあっけないものなんじゃないか?

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

母親開眼供養。

魂入れ、お性魂入れを「開眼供養」というのか。

 

朝8時30分、兄夫婦が迎えにきて位牌を預かってもらってたセレモニーホールへ。

そのまま位牌を持って父母の住んでいた市営住宅に行き、お焚き上げで燃やしてもらう母の神棚に祀ってあったお札と、榊の花瓶を倒したためか、傷んでしまっていた祖母の遺影だけを持ちだし開眼供養を行う菩提寺の大高寺へ。

供養が済んだのち、兄夫婦の居宅へ向かう。

設置したばかりの仏壇に位牌をセットし、焼香と合掌。

そこでの雑談もそこそこに、比較的ラグジュアリーなレストランに向かい食事、

ミニストップにてデザート、自宅に送ってもらい解散。

 

なんだ普通の兄弟じゃないか...。

 

ただし次男のこの心苦しさは誰にもわからないだろう。

今日も死の直前まで母は、兄が仕事中に何度も電話をかけていたことを聞かされた。

 

兄「仕事で忙しんだからかけてよこすな」

兄「そう言ってたらかけてこなくなったから優秀だなと思っていたら死んでいた」

 

俺「頼むからそういうことはあまり言わないでくれ」

 

当然ながら俺はたまらず兄にそう言ったが、それが精一杯だ。・

つくづく、どこまでも狂った兄である。

 

追記

 

福島中央テレビで16:30からやっていた

 

「看取り 〜最期のひと呼吸まで〜」

 

という番組のクオリティが高過ぎて驚いた。 

 

いつのまにか福島のローカル局がキー局を差し置いて、こんなにも質の高い番組を作るようになっていたのか。

 

母親の感じていた孤独、不安を想像しただけで気が狂いそうになる。

足も悪く、耳も遠い。

話し相手はアルツハイマーの夫。

長男は一ヶ月に一回くらいしか食料を置きに行かない。

次男は無関心。(俺的には言い分が山ほどあるし、母親もある程度は理解していたと思うけど、結局は無関心な息子としか認識されてなかっただろう残念ながら)

 

そして件の兄の冷遇だ。

亡くなる前年の11月までは介護(!)の仕事に行ってたけど、そこを実質クビになってから一年間は、人との交流もほとんど皆無に等しかったことだろう。

いつも会社の車に迎えに来てもらっていたらしいが、どのような流れで解雇されたかは想像の域を出ないけど、なんと解雇されてからもしばらくは朝おもてに出て、勤め先であったデイケアサービスの送迎を待っていたと言う。

 

それは仕事が好きだったせいもあるだろうが、いよいよ兄夫婦に殺される時が近付くことへの恐れからでもあったろう。

 

兄との一ヶ月に一度の接触、ごく稀だった俺との電話での会話。

特に亡くなるまでの一年、それ以外は常に孤独であっただろう母を想像してまた自己嫌悪に陥った。

 

涙がとめどなく溢れて来て泣きじゃくった。

今後もそれを思い出すたび母親に大声で許しを乞いながら泣きじゃくるのであろう。

 

苔の後思案、ここに極まれりである。

明日のなんたら駅伝に一緒に行こう。

今朝8:00台に兄から着信があって携帯を確認できたのが11:30頃。

 

早速かけてみると

 

兄「明日のO駅伝に一緒に行ってくれ」

 

俺「いや、不眠症だし気分もすぐれないので明日は勘弁してくれ。」

 

兄「いやだからこそナンタラカンタラ」

 

俺「とにかく束縛しないでくれ」

 

兄「そうかわかった」

 

こっちもその後イライラしながら作業(外回り)開始。

 

すると2時間後にまた着信。

 

電話だと絶対物別れになるとわかっているので

 

俺「心が健康で、用事がなければ明日のフォローもできたかもしれない。親関連ならこの状態でも出動したと思う。反射的にエキサイトしてしまうのでメールで勘弁」

 

と言う内容のメールを送信。

 

すると18:00ころ。

 

兄「ネガティブシンキングは母親の本意じゃないはずだ。母親の生前の願いは兄弟仲良くして欲しいと言うことだった。こちらはマラソン仲間の交流の輪にお前を入れたいと言うだけで、束縛するとか、利用されるとか、責任を持たされるとか、そう言う考えでは人生が広がらない。俺は自力で交流の輪を広げたし、お前もそうした方がいい」

 

とのメール。

 

対して

 

俺「半分は当たってるね。しかしごく簡単に言うと、「今はまだ喪に服していたい」心境なんだ。今回はそう言うことにしていただければ幸いです。」

 

と返信。

 

すると

 

兄「今回も何もないよ。ただお前にとっては大チャレンジだが、まずは普通になってみては?このままでは元の黙阿弥ですよ?」

 

以上。

 

ご覧になればわかると思いますが、兄の思考からは「自分のしたこと」が丸ごと無くなってるんです。

 

ますます兄と俺の価値観、人生観は乖離するばかり。

 

なぜ母親の死によって「俺」が糾弾され続けなければならないのか?

 

完全にてめぇの罪悪感のなすりつけだろこれ。

 

あのキチガイ兄にかかったら誰でも「自殺」か「黙っていなくなる」かするわそら。

 

はぁ。

 

 

 

 

 

備忘録。

1.母親の体調が芳しくないことは知っていて、近々病院に行く予定だったが、妻も同時に具合が悪くなったため、妻を優先した。

 

2.母親は亡くなる数ヶ月前から「胸が苦しい」と漏らしていたが、まさか心臓に異変が起きているとは思わなかった。

 

3.その根拠は、母方の祖父、つまり母の父親は脳卒中で倒れて数ヶ月入院したのちに亡くなったが、それは心臓が強かったから延命したと聞いていた。よって母親も心臓は強いはずだと過信していた。

 

4.やはり両方同時に行かなきゃダメなもんなんだなぁと痛感した。

 

5.母親が「苦しい」と漏らしていた際も

 

「その入院、手術費用、父親を施設に入所させる金などない。死んでくれ」

 

と母親に伝えた。

 

6.母親が

 

「親父の便の排泄が手に負えない。お願いだからオムツを買って欲しい」

 

と懇願した際、

 

「口から入れるものと尻から出て行くもの、どっちが優先だ?オムツなんて贅沢言うんじゃない」

 

と伝えた。

 

以上。

 

とりあえず母親の逝去から今日まで、心に留めて置いた支離滅裂な兄の言い分の数々。

 

1から4までは親戚や隣近所向けのバカでも嘘とわかる苦しい言い訳。

 

5と6が近親者や妻のみに語った真実。

 

そんな兄はとっくに立ち直って何食わぬ顔で日常生活を送ってますがね。

 

ラソンが趣味なのですが、よく走れるなと思うし、パチスロも相変わらず行ってるようです。

 

こっちはいまだに不眠に悩まされてるってのに。

 

肉親を殺してもこんな風に表沙汰にならない事例はそこかしこにあるのでしょうか。

 

尋常な精神の持ち主にとってはこの状況はただひたすらしんどいだけ。

 

なんたる悪夢か。

兄との遺品整理二日目。

アルツハイマーの親父がたまに自部屋の周りを徘徊していたらしく、その度に足の悪い母親がヨタヨタあとを追いかけて家に連れ帰っていたらしい。

 

隣人のおばあさんもそれを何度か目撃していたほどに恒例だったらしい。

 

「最近追いかけてこないからどうしたのかな?と思っていたのよ」

 

お願いだから隣組の長とかにそう言うの連絡してください。

 

それ以前に兄が引越しの際に近所に挨拶回りをすべきだったんだけどな。

 

いつ死んでもおかしくない老夫婦を遠隔地に住まわせて、かつ2、3週間に一度しか

様子を見に行かないんだから。

 

パチスロやマラソンの中毒症状が起きたら、それすら怪しいもんだったんだから。

 

ま確かに生前の父母の追いかけっこは微笑ましいけどもさ。

 

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今日は昨日の残務整理。

 

母親を殺した兄と作業をする違和感たるや相当なもんだけど、

そこにこだわってるとこの鬱状態からいつまでも脱出できないので

核心に迫る話は面と向かってはできない。

意味不明の言い訳が始まるのを知ってるし、罪の意識が皆無な兄の態度を見てると余計気が滅入る。

 

よってなるべくフレンドリーたらんとする努力さえしている。

 

でも車での帰途、その意図がようわからんマラソン用シューズのコレクションの件で

 

「そんなに何足も買う意味がようわからん」

 

的なことを俺が言ったのが癪に触ったらしく、その後我がアパートに到着するまで

ずっと興奮冷めやらぬ調子で自身の浪費癖を正当化してきた。

 

「いやまぁ、こっちはただ会話の流れとしてそれ聞いたら誰でも十中八九俺と同じ反応をするはずなので別にあなたを挑発したつもりではなかったのだよ。」

 

と言う旨を伝えたところで自宅に到着する頃には兄も納得した様子でそこで別れたのだけれど、なんと30分後に電話が来てそこからまた十数分口論が続いた。

 

結局は俺の言い分を納得して折れたみたいだったけど、

ほんと、めんどくさいし気持ち悪すぎるよあの性格は。

 

たかがジョギングシューズ買いすぎを軽く突っ込んだごときで。

 

なんらかの精神疾患があるのは確実なんだけど、そこを指摘したらまた興奮して

結局埒はあかないと思うので、おそらく今後も言わないと思う。

 

兄自身にとっても「そここそ」が一番大事なのは死ぬほどわかってるんだけど。

 

 

 

兄との遺品整理一日目。

「もう嫌だ。一刻も早く移住したい。」

 

と言う気持ちがさらに強まった一日だった。

 

「親父を看ればY子さん車買ってくれるってよ」

 

相変わらず変にセコい夫婦だ。

 

その「変なセコさ」が原因で母親は殺された。

 

父母の年金も20年前から100%押さえてるのだから、そこまで金がないわけないだろ。

 

母親同様、俺を不労所得のタネにでもしようとしてんだろあのキチガイ夫婦は。

 

2013年の言い争いの際に感じた兄夫婦の「闇」に取り込まれかけてるのだろうなこれは。

 

オフクロは人が良いし、立場も弱かったからずるずる術中にはまって、最後までマインドコントロールされたまま死んで言った。

 

兄が「死ね」と言ったから素直に死んで言ったんですうちの母親は。

 

2013年の時点で「俺には母親を救うことは無理だ」と感じた所以。

 

Y子と尼崎事件のK田美代子には類似点が少なくない。

 

これは確実。

 

母親はY子に洗脳(もしくは兄本人の意思かもだが)された兄のマインドコントロールによって「素直に」死んで行ったフシが「大いに」ある。

 

2013年に悟った兄夫婦の「闇」は尼崎事件のミニマム版である。

 

取り込まれたら終わり。

 

あのキチガイどもの要求を慎重に見極めなければ。