この後悔や悲しみはいつか克服できるのだろうか。
嫁に逃げられた時は傷が癒えるのに1年から2年かかったけど、母の死はくらべものにならないほどに根が深いことはわかっている。
前回記事、平成30年の年賀状での母親のメッセージの件は後日こっちから電話して
「よそよそしいよ!」「でも嬉しい!ありがとう!」
的な感謝の言葉を伝えたことを思い出した。
ただそれでも積極的には会いに行かなかった...。
前回の記事で言いそびれたその理由は...
「正常性バイアス」
に他ならないと思います。
「危なくなったら兄や母親自身から電話がくるはずだからそん時動けば良いや」
とか、極端な話、
「父母が死ぬはずがない」
ってやつです。
政治や原発の正常性バイアスは馬鹿にしてたけど、こっちのバイアスの方がよほどタチが悪い。
「お前が死んだ方がよほど良かったんじゃないか。」
実際母親が亡くなってみると、現実を直視せざるを得ないわけで、自分に都合の良い心理状態など作れるはずない。
嫁が逃げた時は
「あれ?俺は今、鎖に繋がれてないし、自由だよな?」
と気づいて、逆にそこから独身を謳歌し始めたのですが、
母親の死は、どこにも逃げられる気がしないのです。
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親子の関係を2013年からやり直したい。
兄夫婦との言い争いごときでなぜ心が折れてしまったのだ。
金の問題はあるかもしれない。
でも冷静に計算すると、親の世話を優先で考えて4輪のみを維持することはできたはず。
車を手放した、2015年当時夢中だった2輪を手放してでも。
父母が兄夫婦の意向で2017年に新築の市営住宅に引っ越す際に自分も今住んでる
このアパートを引き払って父母と同居する。そこまで出来ればベストだったわけだ。
としたら当然この3年弱の間に兄夫婦ともいろいろあっただろう。
でもそれがなんだっていうんだ。
現実に母親が兄の意味不明の判断で死を選んだも同然なんだ。
曰く、
「入院した際の入院費、手術代をどうする?」
「アルツハイマーの父親も施設に入居させざるを得なくなり、その費用はどうする?」
と、「なんか息苦しい...」と漏らす母親に兄がそういったらしい。
俺はさすがに兄がそこまで狂ってるとは気づいてなかった。
迂闊だった。
それを知ってればさすがに俺の母親への対応も変わっていただろう。
そこで俺に電話してこなかった母親の心境を思うと、生きた心地がしない。
俺の残りの人生は一刻一秒、全て虚しいものに感じてしまう。
自死を選ぶつもりは毛頭ないが、一体この虚しさを埋める何があると言うのか...。
母親を見習ってその時々の「善き行い」を実践する。
それくらいしか思い浮かばないが、つまり母親はそういう人だったんだと
改めて母親の偉大さ潔さに唸るばかりだ。
ほんとに凄い人だったんだ俺のおっかは。
『「人」として当然やるべきことをやる。』
それがいかに難しいかはこの馬鹿兄弟を見れば一目瞭然だ。
とても真似できるものではないが、せめて今後のおのれの「規範」とはしたい...。