正月3ヶ日は母親の遺品整理。

 

 

兄が「休みが合わないから一緒に遺品整理することはできないだろう」と言うことで

数日前に我がアパートのマイポストに合鍵を置いていった。

 

自分が使えそうな衣類と、大量の写真は全部、昨日今日でほぼ運んだけど、

二輪オンリーの俺でも運べる余地がまだあると思うので、明日また行く予定。

何から何まで取っておきたいけど、そうもいかない現実がある。

それでも自分が運べる範囲内での三分の二は、なんとかマイ住処に持ってこれたと

思う。

 

ここ10年で2度引っ越したせいか、荷物は思ったより少なかった。

あの年賀状以上にインパクトのある遺品はやめてよおっかぁって感じで

ビビりながら片付けてたけど。

俺ぁ今度こそ立ち直れねぇなそんなん出てきたら。

 

自分の部屋もこれから大掛かりな断捨離を始めようって時に

しこたま荷物が増える始末。

分かり易すぎる「身から出た錆」状態だよなこれって。

 

でもね、やはり貧乏人は物を持つべきではないですね。

「実家」と言うものがないならなおさら。

父母の住んでいた築2年の市営住宅は3LDKで広くて綺麗。

もし三年前に引っ越しを検討したとしても逆に引っ越し辛かったと思います。

 

今のこの自分の住処の家具のほとんどを処分する覚悟ができたかどうか。

そんなところからも貧乏人は物を持つべきではないと実感しました。

15年前、家具なんかに興味を持たなければ今あるこれらの家具に

未練も執着もなかったろうし。

 

親孝行について考えれば考えるほど、ここ5年とか10年ではなく、

20年ほど前からの計画性が必要だったのだなと痛感しております。

 

車を手放して2輪オンリー生活を決めたこともやはり後悔のタネと言えるのかな。

でも実際、2輪で済んでしまっていた我が行動半径...。

会社は徒歩3分もかからない場所。

通勤帰宅の渋滞に巻き込まれる心配もないので、昔から憧れていた徒歩圏内の勤め先。

2013年の就職以来、その点は恵まれてるとずっと思い込んでいたけど、結局は

それに甘んじて2輪オンリー生活になるしで親孝行的にはマイナスでしかなかった。

それも運命だったのか....。ほんと死にたくなる。

 

まぁ今回のこの最悪な事態でも、後悔ではなく、先手を打つヒントをもらえたとすれば

 

「己の終活をうっすらとでも始めておいて損はない」

 

と言うこと。

 

そのためには、

 

「自分の終わりを常に意識した行動を心掛ける」

 

と言ったところか。

 

あらゆる「ムダ、ムリ、ムラ」をなくす。

 

「その原則から外れそうになったら、この母親の遺品整理を思い出せ」

 

って事ですね。

 

2020年代最初の正月3が日から母親の遺品整理をする」

 

それは必然であったのだと、自戒しておるところでございます。