睡眠障害。

いまだに睡眠障害に悩まされてる。

母親の訃音が11月27日(水)だったので、

今日で16日連続2、3時間しか寝てないということになる。

22時台に寝ようが24時台に寝ようが1時台に寝ようが、決まって2時台に目が覚めて

そっから寝れない。

以前も書いたが母親の絶命した時刻が2時台だったのではないかと。

 昨日まで仕事への影響は感じなかったが、今日はややきつかった。

明らかに寝不足による不調を自覚した。

睡眠不足は血管が弱くなったり脳や消化器系にも悪影響を及ぼすしで体に

良いことはひとつもない。

 俺が死んでも地獄行きは確定してるし、天国の母親には絶対会えないので

そういう意味でも睡眠不足に...

良いことはひとつもない。

 

 

エスケイプ

今日は会社の指定休だったので

以前から始めたかった断捨離を開始した。

前回は2012年。7年ぶりだ。

7年前は失業中だが貯金はあったので漠然と

 

「このアパートを引き払うかも」

 

という思いで中途半端に終わってしまっていた。

それでも大量のレコードやCD、洋服など、

モノを手放すことが苦手な自分としてはなかなかに思い切った方だと思う。

 

就職活動に没頭、もしくは経済的にそこまで逼迫していなかったためか

結果的にいつでも引っ越せる状態には程遠いまま無事転職を果たし、今に至る。

亡き母親を経済的にも精神的にもバックアップできなかったので 必ずしも

「無事」とは言えないが、とりあえず独りで生きて行くには妥当な転職先であった。

 

そこから7年、母親の死をきっかけに俺は自分の人生に変化を求めてる。

このまま年老いて兄夫婦の世話になるのは本意ではない。

たとえば80近くになって現役で金を稼げてる人間ならいざ知らず、

大病患って手術した上に入院生活を余儀なくされた場合など、

この土地にいれば必ず兄夫婦は関わらざるを得ないし

俺も頼らざるを得なくなると思う。

 

離婚後7年。初めて再婚の必要性を感じた。できれば県外。

携帯電話の番号も変え、住所もすぐには知らせない。

完全に消息不明というわけにもいかないので、

縁を切る意思を醸しつつ、出奔するわけだ。

 

人生をやり直したい。新しい土地で真っ当に生きたい。

今、心の底からそう思う。

そのためにも今回の断捨離にかける意気込みは、前回の比ではない。 

母親の生きざま。

母親は幸せを感じていただろうか。

心安らぐことがあったのだろうか。

物心ついた時から忙しなく働いていたイメージしかない。

親父が趣味に没頭するタイプで低所得。

自営業を廃業して以来、無職期間が長かった印象。

そんな中でもオフクロは常に働いていた。

朝から晩まで。

行商的なことや化粧品の営業、スーパーの店頭販売。

夕食が遅いと食べ盛りだった中高生時分のバカ兄弟は母親に苛立ちを隠さずキレていた。

できる子供なら自分で作ってるはずだし、そもそも親父がなんとかするべきなのに、

皆で母親ばかり責めていたように思う。

親父は親父なりに兄は兄なりに俺は俺なりに母親に対峙する際の態度ってあったと思うけど、それぞれを母はどのように感じていたか。

俺が一方的に、母の生前も母亡き後のこの感情の通りに母を慕っていたとしても、ここ数年会いにいかなかったわけだし、電話も滅多にしなかったのだから伝わっているわけがない。ただ、たまの電話での会話のたびに「俺はほんとは兄から親父とオフクロを取り返して面倒見てやりたい気持ちはあるんだ」とは必ず伝えていた。本心だったし。

対して兄に対して母は、共依存関係というか、兄夫婦が圧倒的に隷従させていたような関係性だった様に思う。先日ここで話した毎回一万円懇願される件で兄夫婦に食ってかかった際にはっきりとわかった。年金から何から全部兄嫁管理。

 たとえば311震災の時など、父親が住んでいた貸家が津波被害に遭って保証金が何百万か支払われたらしいが、ほとんど兄の借金を返して無くなったという。

そこまでされても兄夫婦に依存せざるを得ない父と母の姿を見ればそりゃ諦めるしかないでしょう。中途半端に関わるのも難しいんです。様子を見に行くたび金をせがまれるんだから。更に言えば父と母を物心両面で隷従させたがる「兄嫁の心の闇」が不気味過ぎて仕方なかった。

 

 親父はアルツハイマーゆえどのくらいの苦痛を感じてるのかあるいは感じてないのか。

そして母親は、そんな中でも幸せを感じていただろうか...。

 

 

 

 

 

 

アパートに親父を一泊させろというのだが。

布団もない何食べさせて良いかわからない赤ん坊のオムツすらとっかえた事ないこの俺ができるのか。

 

こうやってなんでもいきなりなんだあの兄貴は昔から。

 

なし崩し的にこのアパートで今後死ぬまで面倒看ろと言われたら俺が先に逝くしかなくなるわ。

 

自分の父親というより母親の忘れ形見と思えば邪険にするわけにもいかないけど。

 

昨日も3:00に目が覚めてそれから寝れなかった。

 

今日はマジ頼む、朝まで寝かせておっかさま。

 

 

会社に殺される前に...

やはり8-10月の通話履歴には残ってなかった。

でもどうにか知りたいな。

自分のたった一人のかけがえのない母親と、今生で最後に話した記念日なんだから。

カスタマーが通話履歴を依頼できるのは直近の三ヶ月分のみらしいけど

どうにかならないかな。

もう一度ソフトバンクに聞いてみよう。

 

昨日は24:00過ぎに寝て朝5:00に起きた。

5時間も寝たのは久々だった。

この調子で最低でも7時間は寝るサイクルにしないと。

先日の健康診断で血糖値高くて二次検査の案内来たしさ。

遺伝、ストレス、糖分、炭水化物の過剰摂取。

酒を飲まなくても糖尿病になるとは知らなかった...

まだそうと決まったわけじゃないけど。

 

夕食はコントロールできるとして、昼食だな。

コンビニがメインでスーパーは稀。

スーパーの方が糖尿病予防食品の選択肢は圧倒的に多いんだけど。

仕事柄、15:00以降に摂るのが当たり前だしな。

で、帰ってきて疲れてるからダラダラして夕食の時間が遅くなる。

しかも炭水化物たんまり摂って成人病まっしぐらな食生活だったし。

 

でも実のところ最たる原因はストレスだと思う。

来年の三月にはやめる予定でいるけど、次も決まってない。

今までオフクロが事あるごとに保証人になってきたけど、もうあてがないや。

この異常な職場を離れれば覿面に快方に向かうだろう。

無職のストレスさえ回避できれば、短期間で完治するはず。

 

いや、まだそうと決まったわけじゃないけど。

 

自己肯定感を求めてはいるものの。

不眠の原因はわかってる。

目が覚めた瞬間から徹底した自己否定がまず始まり、

罪悪感が募り寝れなくなるわけです。

 

母親が死んだという現実をいまだに受け入れられてないのもある。

 

最後に電話で話したのはそう遠くない過去だと思うのだけれど、

言っても今年になって一回のみだったと思う。

電話口に親父を出してその親父の声を聞いて意外にも普通に元気だったので

そこで安心してしまった。

母親が先に逝くとは夢にも思ってなかったから、

親父の元気そうな様子で安心しきってしまっていた。

 

あれは何月何日だったのだろう。

こないだソフトバンクに8、9、10月分の通話履歴を送るよう依頼した。

最後に話した日を知りたくて。

 

でもおそらくは8月以前なんだろうな。

携帯にもそこまでの履歴は残ってるけど母親とのは見つからなかったから。

直近三ヶ月しかダメらしいのでそこになかったら諦めるようなのかな。

 

まぁそんなわけで、

とてもじゃないが自分を肯定できる状態じゃないんですね、いまだに。

 

不眠症。

母の訃報を聞いたのが11月27日(水)夕方。

 

その前からすでに数日寒かったけど、そこからまた、2、3日は寒かったと思う。

 

事が事だけにそうやすやすと眠れないのはわかる。

 

でもその不眠には明らかな特徴があって、

とりあえずいつものように23:00-24:00頃就寝したとして、

きまって夜中の2:00-3:00に目が覚める。

そこまではまぁ普通だと思いますが、問題はそこから全く眠れない事。

訃音後の2、3日は「寒さのせい」で二度寝できないものだと思っていた。

実際寒くてガクガクブルブル震えながら再び眠りに就こうと努力しても叶わず、

そのまま朝を迎える状況だった。

 

ところがその後今日まで、寒さが和らいでも状況は変わりません。

就寝時間が21:00台でも24:00台でも、起きてしまうのは必ず2:00-3:00頃。

そこから再び寝れないまま朝を迎え出勤です。それがもう10日以上続いてる。

今回の件で自己肯定感を微塵も感じられず、

後悔や反省の繰り返しストレスで自律神経狂ったか。

それさえも自業自得と思ってしまうけど。

 

しかし「死にたい」と思う、通常でもよくある漠然とした中途半端な欲求はあるものの、具体的に今すぐ死を選択するほどの覚悟はない。

 

生きるしかないんだったらやはり睡眠不足は障害以外の何者でもない。

 

しかし時折、母親に呪い殺されかけてる最中かも?という幻想が頭をもたげる。

 

母親が絶命した時刻こそが夜中の2:00-3:00だったのではないかと。

 

もちろん俺は、それに抗うことはできない。