続・葬送セレモニーの意義、そして宗教の意義。

なんか今日は1日中きつかったな。辛かった。

仕事が薄い日はしばらくこんな感じでやばいのか。

昨日は割と忙しめだったせいかそこまでじゃなかったのに。

 

今回の件で葬送セレモニーの意義や宗教の必要性は理解できた。

ただし政教一致だけはいまだに微塵も理解できないし、葬式に金をかける意味も今までよくわからなかったけど、金をかければかけただけ故人の供養、遺族の悲しみを浄化する効果があるような気はした。

 

宗教は...藁をもすがる思いで母親を生き返らせて欲しいと思ったもの本気で。

この人智を超えた願望は宗教にすがるしかないなと思ったよ。

 

ここ数年はたまに電話で話す程度だったんだ亡き母親とは。

休みのたび会いに行くのも無理からぬ距離なのに。

その、たまの電話が今後ないと思うだけでも死にたくなるほど悲しい。

母親の声をもう一度だけでも聞きたかった。

そこが一番残念だし、

近いのに何年も会いに行かなかった自分に殺意さえ覚える。

(もちろん会いに行かなくなった確たる理由はあるのですが今となってはそれさえ取るに足らない事のように思えます)

ここまで母親を愛していたとは夢にも思わなかった。